代表あいさつ

弊社に興味を持って頂き誠にありがとうございます。
弊社は創業より「人」を大切にしてきました。
利用者と接する中で、「人の人生」について感銘を受けることがよくあり、
このページでも恥ずかしながら私のこれまでの人生とみやびを立ち上げたきっかけを赤裸々に話したいと思います。


出身は愛媛県の松山生まれ。3人兄弟の三男としてこの世に生を受け、どこにでもある普通の家庭で育ちましたが、
私といえば、学生時代の頃から乗り物が大好きで、道を踏み外したことも幾度となくありました。
決して学校の先生から誉められることもなくいわゆる社会の問題児。
先生と目があうだけでまた何か山本がやらかしたと疑われ、指導される毎日でした。(いまでは先生とも笑い話ですが、、)
今思えば、当時の私の素行は決して誉められるものではなかったでしょう。
しかし、そんな私のことを特に大事にしてくれたのが3兄弟の次男でした。
年が近いのもあり、考え方や性格が私の分身かのようにとても似ていたのです。


そんな毎日を送っていた14歳の秋、私の人生に深く刻まれるある出来事が起こったのです。
いつものように次男が「ちょっとでかけてくる。すぐもどってくる。」と私に告げ、夕方に先輩の車で遊びにでかけていきました。
しかし待てど暮らせど次男は帰ってきません。こんな遅くまでどこで遊んでいるのやらと家族で話していたのを今でも覚えています。
その日の夜中に親父に起こされ、こう告げられました。

「次男が、いま事故で死んだ。」

私は、親父が何を言っているのか理解ができませんでした。
さっきまで私と普通に話していた次男が死んだというのです。
人間、そういった事態を急に聞かされると逆に冷静になるもので、
夜中に親父が運転する車にみんなで乗り警察署に向かいました。
車内は、ただただ無言。誰も泣きもせず何もしゃべらない変な緊張感に包まれていました。
そんな静寂のなか警察署につき、変わり果てた兄をみて家族全員が同時に泣き崩れたのでした。
この時のことは、20年経った今でも忘れません。


それまでの私は、後先を考えず社会に反抗することだけが生き甲斐であり、それが自分の美学だとも思っていました。
反抗期も重なって、親にはとても迷惑をかけたと思います。しかし、次男の死を経験しそれが誤りであることに気付けました。
と同時に自分が次男の人生も背負って頑張ろうと決意したのです。
次男が私によく言っていた「介護士になりたい」という夢を自分が代わりに実現しよう。そう決心しました。

 

そこからは本当に大変でした。
私は勉強をしてこなかったので正直頭も良い方ではありません。介護士の知識もない、勉強も出来ない、先生からの評価も高くはない。
それでも私は「介護士になる」という夢を家族にも話さず、休みなくがむしゃらに勉強をしました。

そうして迎えた国家資格介護福祉士。
試験結果は無事に一発合格。
ようやく兄の夢であった介護の世界に足を踏み入れたのです。

しかし、兄が見せたかった景色とは裏腹に、当時の介護業界は巨大な介護施設が乱立し、組織の蓋を開ければ働いてくれる人への投資をする会社はまだまだ少ないというのが業界の現状でした。
だったら自分『たち』が変えてやろうと、私は会社を立ち上げることを決心し、今の会社を創業したのです。

会社の名前は、「株式会社雅(みやび)」
私が世界一尊敬する兄の名前です。